昨晩からの雨、雲間から陽射しが庭の草木を照らしました。
陽射しが柔らかでした。
午後、急に強風が吹き強い雨、しばらくするとまた、晴れました。
不思議な1日の天気でした。
雑用を済まし、PCに向かい 日付は変わってしまいました。
家で、自分の勉強や研究を深く落ち着いてできる時間があり、とても嬉しい時です。
昨年までそんな時間がほとんどなく、ため息をつく時が多く、積ん読の本が山のように溜まっていました。
今は、ひとつの道に偶然や直感がつながり、それに伴い本も次々に見つかり、ネットやYoutubeも次々と繋がり、
私の元にドンピシャの情報が訪れてきます。
どれもこれも、キーワードがあり、そこから全てがつながっていきます。
私が、生きる、この世に生まれる、と自分で決めて誕生した時、最初に決めたことに、周りの全てが向かっています。
ひとつの点が四方八方に、広がっています。
この状況の中、不安や怖さという自我は、もちろん現れてきますが、逃げずにそんな自分と共にいながら、
ふんわりと自分の中で決めたものに、日々、向かえるこの時に感謝しています。
私のルーチェセラピーは、ヒプノセラピーが土台になっていますがオリジナルのものです。
セッション時になると、自然に自分の中にスイッチが入ります。
不思議ですが、その切り替えが自然に起きます。
先日、体験のルーチェリーディングの申し込みがありました。
30分の短い間でしたが、とても濃いリーディングでした。
数日後、セッションではなく他のお話があり、そのクラアイアントさんとお会いし少しお話をしました。
セッションやリーディングの時でないと、どなたでも、お会いすると友人と話すような普段の会話になります。
先日は、そうではなく、不思議な体験をしました。
もちろん、私はスイッチは入れませんでしたし、入りませんでした。
目の前のクライアントさんのスピリット、魂から、サインがやってきて、動き出しました。
セッション時は、私から、話しかけます。
先日は、目の前の方のスピリットから、やってきました。
一瞬でしたが、不思議でした。
その方の、真我、スピリットは、それをずっと求めていたのだと思います。
どこかで抑え込まれていたのかもしれません。
話は変わります。
スピリチュアルブームは去り、今は、他の成功方や起業、コンサルティングが流行っているとのこと。
そして、あるYouTubeで、スピリチュアルは意識だけで、実体性がなく唯物論ではない。と、話されている方がいました。
その後、様々な理論の展開を話しておられました。
それが、合っているとか違うとかではないのです。
私の中では、???????。
でした。
ヒプノセラピーを学んでいた頃、
必ずヒプノセラピーの学びや実践と共に、
自分の目の前の現実を直視していくことをしていきました。
それは、講座での基本でした。
もちろん、リーディングでもです。
現実の自分の生活、人間関係(特に家族)、お金、身体(健康)という自分の現実に向き合っていきます。
そして、トラウマを見つめ、感じ、癒していきました。もちろん、様々な行動もしていきます。
実際、自分の家の家計やお金の動きを見ました。それは、自分の自我を見つめ、現実の自分を見るいちばんの近道です。
日々、自我を見つめ、意識、身体、心を見ていきました。
そうすると、現実の目の前が変わっていきます。
20年前、あんなに苦しかった自分がいて、それをどう癒し、本当の自分に還る旅ができるか、今は分かります。
意識だけではなく、感じる、感覚、思考、心、身体、自我と向き合い、様々なことを日々の生活の中で行動し実践していきます。
これが、意識だけで唯物論ではないの?現実の形あるものを見ていくけどなあ。行動して形にしていくけどなあ。
スピリチュアルということを体感されたこと、行動や実践されたことがあるのかなあと、思いました。
裸の王様という童話があります。
裸で行進する王様を、街の少年が裸だ!裸だ!と、裸の王様を見て、大きな声で叫んで笑います。
子供達の心や感性は、素直です。
実際、今の小学生や十代の子供達の先生や学校、親への視線は、とても鋭く真髄をついています。
彼らはとても知性があり、裸の王様の少年のように、声高らかに叫びはしません。
何も表立っては言わないのですが、皆、教室や学校での真髄を感じています。
大人たちは、それに気付いていないだけです。
裸の王様だけでなく、きれいなタキシードを着たり、マントを着ているスマートで美形でスタイルのいい王様の真髄も感じています。